Anette Kolmos博士は、娘が幼稚園から帰宅し、水について学んだことを話してくれた日のことを覚えています。Kolmos博士は次のように述べています。「クラスでは、水はなぜ常に下に落ちて行くかについて話したそうです。水が上に行くようにできたらどうだろうか、それが可能なら、どのようなことを行えたり、どのようなものを発明できるようになったりするだろうか、といった話です。遊びを通して子供の好奇心を刺激し、熟考するように促すことが、問題解決型授業の鍵なのです」
それから長い年月を経た現在、Kolmos博士はデンマークのオールボー大学で、工学教育と問題解決型授業の分野で教授を務めており、ユネスコでは工学教育における問題解決型授業の講座を担当しています。問題解決型授業(PBL: Problem-Based Learning)は、課題解決型学習(Project-Based Learning)とも呼ばれ、15年前には比較的目新しい考え方でしたが、現在では世界中の多くの学校や大学で急速に採用が進んでいます。
採用される要因は、主にリクルート市場の要請です。企業サイドはクリティカル・シンキングを身につけた人材や、これまで当たり前と思われてきた方法を見直し、何年にもわたる問題や新たな問題に対処する新しいソリュ―ションを見いだせるような人材を必要としています。新しい技術の登場によってものづくりの方法論が一変するときには、製造業やエンジニアリング企業が、最も声高に教育における変化を迫るグループに属することになります。
「製造業は過去35年間にあまりにも変化してきた結果、同じ産業とは認識できません」と語るのは、米国ノースカロライナ州立大学フィッツ記念産業・システム・エンジニアリング学部で工学教授を努めるRichard Wysk博士です。「学生は幅広い領域で適切な訓練を受ける必要があります。それは単に学生に講義するだけなく、学生を研究室の中に置き、自分が思い付く前は作ることが不可能であった何かを作成するよう指示する、といった訓練です」
Kolmos氏は、従来のやり方で訓練を受けた学生に対する産業界のいらだちを理解しています。「問題解決型授業は、教育に対する従来のアプローチがもはや機能していないために出現してきています。たとえば、イギリスでの最近の報告によれば、卒業生の70%は、教科書で訓練を受けてきたため雇用に適さないそうです。イノベーションはどんどん複雑になってきているため、学生に必要なのは技術的知識だけでなく、知っていることをどのように適用するかの知識なのです」
新しい教室
PBL(問題解決型授業)の教室では、教師は指導者というよりプロジェクトの進行役です。学生が取り仕切り、教師が助言します。学生はチームで作業して、既に知っている事柄を識別してから、特定の課題を解決するためには何を学習する必要があるかを見極めます。助手としてふるまう教師は、このプロセスを導きます。
この「アクティブラーニング」と呼ばれる事例ベースの形式は、もともと1960年代にカナダ・オンタリオ州のマクマスター大学で開発された、医学部のアプローチに類似しています。それ以来、PBL形式は世界中の他の学校にも広まり、エンジニアリングや設計の分野へと拡張されてきました。一部の大学は、数学用のPBLプログラムも開発しようと取り組んでいます。
「遊びを通して子供の好奇心を刺激し、熟考するように促すこと、それが問題ベースの学習の鍵なのです。」
Anette Kolmos氏は、
デンマークのオールボー大学で、工学教育と問題解決型授業の分野で教授を務め、ユネスコで工学教育における問題ベースの学習の講座を担当しています。
ただし、新しい教育モデルの実施状況は、国や地域によってさまざまです。ヨーロッパの多くの国では、教育行政の一番上から下に向けて変化が制度化される場合がほとんどです。米国では、学問の自由の伝統により、下から変化が起こる傾向があります。つまり、教室レベルから始まり、上へと浸透してゆくのです。
教師の評価を重視するシステムという観点では、PBLは困難な課題となります。一部の国では、学生の成績に基づいて教師と管理者の給与支払い、評価、昇進が行われます。終身雇用は多くの学校で風前の灯火となっています。しかし、オランダのデルフト工科大学で学生のチームが、過密都市での交通問題に対処する明快な解決策として「垂直型の」駅を考え出したとき、メンバー一人一人の成績をどのように評価したらよいのでしょうか。
「学問の世界では変化に対して非常に大きな抵抗があります。誰も変えたがらないのです」とKolmos博士は語ります。しかし、変化を迫る勢いは増すばかりです。社会的には、世界でエネルギー、環境、持続可能性、および合理的経済の課題に対する解決策が求められています。産業界からは年々、適切な技能を持つ有能な人材を求める声が高まります。Kolmos博士は、産業界は異口同音に人材を求めている、と述べています。
世界の主要な機体メーカーや推進装置メーカーのために精密部品を製造している英国のGKN Aerospace社からも、こうした声が寄せられています。現在の製造業における新素材、革新的テクノロジー、画期的プロセスは、労働力の中に新しいスキルを必要とする、と同社の経営陣は述べています。
GKNのテクニカル・ディレクターであるRichard Oldfield氏は、イギリスの技術雑誌『The Engineer』誌に次のように語りました。「物事を全く新しい方法で考えなければならないのは、非常に大きな課題です。こうした課題に取り組むための新しい考え方を、学校で身に付けなければなりません。
学生は、こうしたやり方にできるだけ早く、広く接する必要があります。それは、新しい一連のシステムやツールキットをあれこれ試してみて初めて、この新しい空間で設計したり、新しいシステムの潜在力を理解したりするのに適した物の見方が形作られるからです」
GKN社CEOのMarcus Bryson氏は、そのことを別の表現で説明しています。「将来の航空機がどのような姿になるか、明確に分かっているわけではありません。しかし、今と同じ方法で製造することがないのは確実に分かっています」
テクノロジーの進歩
オーストラリアのセントラルクイーンズランド大学で工学教授と教育学部の副学部長を努めるRogert Hadgraft博士は、教育の変化を押し進めている技術的発展は、進化を可能にしていると述べています。
Hadgraft博士は次のように述べています。「問題解決型授業は、学生自身が実験を行えるようにしたソフトウェアや、学生の共同作業を実現したインターネットのような通信を含むテクノロジーの発展によって、効果的に活用できるものへと本当に変化してきました。学生を行動に移らせて初めて、彼らは何を知らないかを発見します。それが、学生の学習に対する取り組み方を変えるのです。学生はどの戦略が機能し、どれが機能しなかったかを解明します。基本的な質問の処理能力は、ソフトウェアをどれだけうまく利用するかに左右されますが、質問を作成するのは人であり、学生たちはそれにどんどん熟達していって、ずっと優れた質問をするようになります。この問題解決のプロセスが重要なのです」
Hadgraft博士は、教室でどのようにPBLを体系化するのが最善であるかを研究する一人です。たとえばオーストラリアでは、初等教育の初期にあるほとんどの児童は、自分たちの世界について質問し、調べることを奨励されます。その後、中等教育の多くを通して、大学の入学許可を得るために必要なスコアを獲得するため、従来の教科書と講義に基づく方法で若者の教育が行われます。
Hadgraft博士は、彼らが大学に入学すると、PBLコースの速度を落として、質問から始まり共同作業を前提とする、初等教育で経験したような問題解決型の教育環境に学生を再度慣らす必要があることに気付きました。そのため工学コースの初期段階の授業には、対人関係、共同作業、人文科学、持続可能性、環境、社会問題など、工学以外の領域が含まれています。
「変わったのは、この人道主義的な側面です。問題解決型授業は、こうした人道主義的な価値観を工学カリキュラムに統合する助けになっています」とHadgraft博士は述べています。 結果として、技術分野に進む女性が増加しつつあり、それらは「生活指向の学問分野」だと見なされるようになってきています。
Kolmos博士にとって問題解決型授業は、知識を共有し、アイデアを話し合うという、私たちが身に付けてきた最大の力を活用できるものです。「一人だけで行われる設計はもはや存在しません」と彼女は指摘します。「自分だけで決められるわけではありません。グローバルな共同作業が非常に重要なことであることを理解してほしいのです。学習におけるグローバルな部分がどのようになるか、現在、想像できないような形で取って代わることになるでしょう」