スペインのバルセロナにあるカタルーニャ美術館は2015年、無料モバイルアプリとウェブサイトから1800点近くの作品にアクセスできるようにして、キュレーターの仕事のクラウドソーシングを始めました。同美術館の収蔵品を使って誰もが独自のストーリーを表現できるようにしたのです。初年にユーザーに1回以上選択された作品は428作品(対象作品の約24%)に上ります。各ユーザーは作品に対する個人的なコメントや関連作品へのリンクを追加して、他の来場者のために展示をキュレートしました。
同美術館は最もクリエイティブなツアーを決めるコンテストを開催しました。優勝者の1人は、子どもたちに動物を題材にした作品――ラモン・カザスの1886年の絵画「牡牛(死んだ馬)」や、フランセスク・セッラ・イ・ディマスの1903年の作品「作業場の彫刻家アガピット・バルミッジャナ・アバルカの肖像」など――を紹介するゲーム「サファリに行こう!!!」をキュレートしました。
美術館の革新的なアイデアを支援する国際組織、ミュージアムズ・アンド・ザ・ウェブでエグゼクティブ・ディレクターを務めるNancy Proctor氏は、カタルーニャ美術館はテクノロジーを効果的に活用した珍しい事例の1つだと考えています。
Proctor氏は次のように話します。「美術館はこれまで、地域と関連のある存在になることに苦戦してきました。多くの美術館が、アテネの丘のアクロポリスのような新古典主義のファサードをシンボルにしているのは偶然とは思いません。アクロポリスには宝物が収められていて、人々は立ち入りを許されませんでした。多くの美術館は、人々の興味を引くためのデジタルプラットフォームのポテンシャルを十分に活かしていません」
関連性を再定義する
テクノロジーは、美術館の貴重な収蔵品の展示方法に対するキュレーターの考え方を変えているだけではありません。美術館が誰に奉仕し、文化的に何がどう関連性を持つかという点について、美術館関係者の考え方を変えることにも貢献しています。以下に例を紹介します。
• ニューヨークのメトロポリタン美術館は、ジャクソン・ポロックの絵画の鑑賞用に仮想現実(VR)ゴーグルを提供しています。このヘッドセットをつけて作品を見ると、ポロックの強烈な色彩がキャンバスから飛び出してきます。
• ベルギー王立美術館は、パリのGoogle Cultural Institute社とのコラボレーションのもと、オンラインの訪問者をブリューゲルの「叛逆天使の墜落」の世界に招待し、この傑作を象徴する緻密な描写を体験する没入型の3Dツアーを行いました。
• Google社のエンジニアは、スミソニアン協会の国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館とチームを組んで、インタラクティブな3D展示壁を開発しました。こうして、大勢が触れれば傷んでしまう遺物や史料をデジタルイメージ化し、来場者が操作して回転させたりできるようにしました。
•パリのルーブル美術館や、ニューヨークのグッゲンハイム美術館やメトロポリタン美術館などの美術館では、来場者が有名な作品の石膏像に触れられるツアーを開催しています。アーティストは目の不自由な来場者のために作品を点字で見せています。一部の美術館は、3D企業と提携して有名な絵画を手で触れられる3Dプリントの作品に変換し、目の不自由な人たちが絵画の特徴を「感じる」ことを可能にしています。
娯楽、それとも教育?
こうした展示をきっかけに、デジタルツールが美術館と市民の関係に与える影響について、新たな議論が活発化しています。評論家の間には、来場者数を伸ばすために啓発や教育よりも娯楽性を重視する展示を憂慮する意見もあります。例えばニューオーリンズの国立第二次世界大戦博物館は、テーマパークや映画制作会社などをクライアントに持つデザイン会社やクリエイターと協力して、スリル満点のインスタレーションを制作しました。
Proctor氏は「キュレーターや学者側は『ディズニー化』に対する不安を抱きがちです」と指摘します。しかしこのような態度は、娯楽と教育は両立しないということを前提にしています。なぜ美術館が楽しくてはだめなのでしょうか。「美術館はディズニーの戦略集の1ページを参考にできるかもしれません。美術館は、知らない人同士が出会う広場や公共スペースの役割を果たせるのです。今の時代は特に、これが強力なメッセージになります」
「デジタルテクノロジーによって、美術館の壁は、はるかに通り抜けやすく、中が見えやすいものになります」
PATRICIA WARD氏
シカゴ科学産業博物館 科学分野の展示およびパートナーシップ担当ディレクター
シカゴ科学産業博物館(MSI)で科学分野の展示とパートナーシップを担当するディレクターのPatricia Ward氏も同じ意見です。
「デジタルテクノロジーによって、美術館の壁は、はるかに通り抜けやすく、中が見えやすいものになります」と同氏は述べます。このようなオープンさによって人々が引き寄せられ、美術館は来場者のことをより良く理解することができます。「私たちは来場者の皆さんからどのように学びを得られるでしょうか。皆さんは何に興味を持っているのでしょうか。何を知っているのでしょうか。何を重視するのでしょうか。テクノロジーはこれらに答えることを助けてくれます」
Ward氏によると、例えばMSIの展示「フューチャー・エナジー・シカゴ」に設置されたインタラクティブ・シミュレーション・ラボには、来場者に現実世界の情報を提供し、エネルギー効率に関する選択(住宅や地域、輸送などに影響するトレードオフなど)を考えてもらうゲームが用意されています。MSIの職員はこれを通して、来場者が彼らの世界についてどのように選択を下すかを知ることができます。
Ward氏は「展示の設計を考えるよりも前に、人々が知っていることを把握しなければなりません。私たちは対話の糸口を見つけようとしています」と話します。
きちんと伝わるストーリー
ボルチモア美術館でインタープリテーション(解説)とパブリックエンゲージメントを担当するディレクターのGamynne Guillotte氏によると、VRやAR、3D、そしてエクスペリエンス強化(例えば戦場の展示で煙や風を追加する)は、インタラクションを促進するためにキュレーターが導入できる、ストーリーの伝え方の新たなテクニックに過ぎません。
Ward氏は「来場者の行動はここ20年間で大きく変わっています。全セクター横断的なコラボレーションと参画が期待されます」と語ります。
「全セクター横断的なコラボレーションと参画が期待されます」
GAMYNNE GUILLOTTE氏
ボルチモア美術館 インタープリテーションおよびパブリックエンゲージメント担当ディレクター
ミュージアムズ・アンド・ザ・ウェブのProctor氏は、デジタルツールでストーリーの伝え方を強化することで、来場者に展示コンテンツへの一層の参加を促すことができるため、より持続可能なビジネスモデルが実現すると指摘します。同氏によるとテクノロジーは、市民のコラボレーションを促進して美術館と現代社会を結びつけると同時に、美術館のコンテンツをより豊かで、関連性があって、活気に満ちたものに変えています。
MSIのWard氏も同じ意見です。
「美術館のデジタルテクノロジーについて議論する場合、重要なのはテクノロジーそのものではありません。重要なのはストーリーであり、テクノロジーはストーリーを伝えるための手段なのです」