Frederico curado

直感と経験で航空機メーカーを率いる エンブラエル社の社長兼CEO

Tony Velocci
25 April 2015

ブラジル最大の輸出企業にして世界第3位の旅客機メーカー、エンブラエル社。同社の社長兼CEOを務めるFrederico Curado氏は、大きな課題に真っ向から――そして、できるだけ早く――立ち向かうことを信条としています。

2007年にFrederico Curado氏がエンブ ラエル社の社長兼CEOに就任した直 後、世界は過去数十年間で最悪の不況 に陥りました。この危機を予期していたエ コノミストはごくわずかでCurado氏も、好 景気はそれほど長くは続かないだろうと不 安を感じていたことを思い起こします。

「直感でした」と、Curado氏。ビジネス航空 の分野では、航空機の売り上げがほぼ一夜 にして約半分に激減しました。

Curado氏達経営陣はすみやかに、ブラジル 最大の輸出企業であるエンブラエル社が 被るであろう影響を予想し、その結果をス テークホルダーと共有し、企業規模を20% 縮小しました。これは、流動性の高さと健 全な負債比率を維持しつつ、顧客と株主に 対する責任を果たすための行動でした。

「会社を縮小することは、取らざるを得な い行動の一つでした」と、Curado氏。「政治 家をはじめとする多くの人々は、私たちを 批判しました。『なぜこんなことをしている のか』と追及したのです。しかし、六カ月後 にはその答えは一目瞭然でした」。

この経験によって、勤続30年のCurado氏が エンブラエル社に入社して間もない頃に得 た教訓が実証されました。「問題に気付い たら、後回しにせず早めに対処する事」と、 Curado氏は述べます。「早いうちにストレ スでイライラするほうが、後になって問題 が悪化して不安でやきもきするよりもはる かにましだということを、私は――成功と 失敗――双方から学びました」。

60億米ドル

エンブラエル社の報告によると、 同社の2014年度の収益は 60億米ドル以上にのぼります。

エンブラエル社は苦境を脱し、成長に向け た態勢を整えました。今日では、航空宇宙 業界屈指の革新的な優良経営企業として広 く認められています。サンパウロ州に本社 を構え、世界中のビジネス・商業・軍事航空 分野の顧客と取引があります。2014年度に は60億米ドル以上の収益を上げました。

人間好き

金融危機前後のCurado氏の行動には、彼 特有の資質が反映されています。その資質 とは、先見性、臨機応変さ、勇敢さ、オープ ンさ、実用主義、そして慎み深さです。突然 の企業規模縮小を決定したことに触れて、 Curado氏はこう述べています。「最終的に は適切だったと判明しましたが、結果が見 えるまで孤独でした。難しい決断であると 共に、CEOである自分にしか下せないもの です。そしてわたしはその結果を、良し悪 しにかかわらず受け入れなければなりませ んでした」。

陸軍将校の父親と学校教師の母親の間に生 まれたCurado氏は、リオデジャネイロで育 ち、飛行機に興味を持ち、機械いじりが大 好きな少年でした。得意科目は数学。ブラ ジル空軍付属航空技術大学校(ATI)へ通い、 機械・航空工学の学位を取得。後に、サンパ ウロ大学で国際エグゼクティブMBAも取得 しています。

1984年にエンブラエル社へ入社し、その二 年後24歳の時に板金工場の管理を任されま した。それから23年間、製造、調達、請負、 販売、情報技術の各部門を渡り歩き、管理 職として出世の階段を上っていきました。 そして八年前、Curado氏は社長兼CEOに就 任します。1969年に設立、1994年に民営化 されたエンブラエル社は当時、大きな課題 を幾つも抱えていました。アジアからの競 合相手の出現、技術の急速な変化、製品サ イクルの短期化、そして信用市場の引き締 め等が、あらゆる製造業者に打撃を与えて いたのです。また航空会社も、石油価格の 高騰により痛手を負っていました。エンブ ラエル社はまた、グローバル化に手間取っ ている最中でした。生産・流通拠点は依然と してブラジルに集中していたのです。

金融危機が迫る中、Curado氏はエンブラエ ル社の文化を変えるため、業務のスピード アップ、生産性の向上、中核事業間のバラ ンス改善、さらなるグローバル化を実現し ました。しかしCurado氏は謙虚に手柄を 手助けしてくれた人々に譲り褒め称えま
す。「私は、この会社を率いる約350人のシ ニア・マネジャーの一人にすぎません」と、 Curado氏。

Curado氏によれば、エンブラエル社のビジ ネス・ジェット事業の「重心」は米国に移り つつあるといいます。同社の主要な成長源 である米国では、Embraer Aircraft Holding 社のGary Spulak社長の指揮の下、事業展 開活動が進められているのです。文化と従 業員の多様性の面で依然として「ブラジル 的すぎる」と考えるCurado氏は、それを払 しょくする為、北米での活動は特に重要で あるといいます。

国外の生産・流通拠点が増えるにつれて、 真のグローバル企業に欠かせない要素で ある新たな人材を地元で雇用しようとす るようになるとCurado氏は述べています。

顧客のニーズを察知

エンブラエル社の強みの一つは、ニッチ市場を特定し、顧客の需要に見合った製品を開発することができるという、実証済みの能力です。これは、さまざまなフォーカスグループを集め、どうすれば優れた顧客エクスペリエンスを創出できるのかを直に知ることによって可能になるのが通例です。

「エンブラエル社はリスクを取りながらも、市場と機会の評価にはきわめて入念かつ周到に取り組んできました」と述べるのは、ワシントンD.C.に本社を置くCapitalAlpha Partners社のディレクターを務めるByron Callan氏です。同社は金融機関を対象に、ビジネス戦略のアドバイスを提供しています。「Curado氏はエンジニアならではの秩序立った視点で、何が有望かつ可能であるのかを見きわめます。私が思うに、規模の面ではAirbus社やBoeing社には太刀打ちできず、容易に押し潰される恐れがあるという意識が常にあったからこそ、エンブラエル社は自らの居場所を慎重に選んできたのでしょう」とCallan氏は感想を述べます。

ニューヨークを拠点とするJetBlue社は、世界中の航空会社が運用する100人乗り航空機エンブラエル 190の最初の納入先でした。(Image: エンブラエル社)

好例の一つは、2009年に就航したエンブラエル社の六人乗り軽量ジェット機Phenom300です。就航からわずか4年後、Phenom300はあらゆる競合メーカーの同サイズ機を上回る納入数を記録しました。顧客は同機の性能の高さ、ハンドリング性、そして、大型のジェット機でしか利用できない機能に反応したのです。エンブラエル社はまた、商用リージョナル機と軍用輸送・訓練機分野のニッチ市場の開拓にも成功。70~120人乗り旅客機の分野では世界最大手となっています。

記憶に残る体験

エンブラエル社のもう一つの差別点は、アフターサービスとサポートです。例えば米国に本社を置く多国籍食品メーカーのトップは最近、3週間にわたる出張の際に、エンブラエル社の長距離ジェット機Legacy 650で世界を一周しました。

このエグゼクティブの会議のスケジュールは非常にタイトで、機械的なトラブルに対処する時間の余裕はほとんどありません。太平洋を横断飛行中、機長のAndre Fodor氏はエンブラエル社のコンタクト・センターに電子メールを送り、機内調理室の調理台の調子が悪いことと、冷蔵庫が十分に冷えていないことを報告しました。

「問題に気付いたら、後回しにせず早めに対処するのです」

Frederico Curado氏
エンブラエル社 CEO

「私たちは単に、フロリダ州オーランドにある飛行場に戻った際にトラブルに対処してもらえるように、センターに知らせておこうと思ったのです」とFodor氏は述べています。「ですから、シンガポールに着いたとき、エンブラエル社がこのような小さなトラブルを解決するための予定をすでに立ててくれていたのには驚きました。エンブラエル社は世界中で何度もその誠意を証明しています」。

サービスへの集中

そのような賛辞はCurado氏の耳に心地よく響きます。Curado氏にとっては、顧客を訪ねることと生産現場で従業員と接することこそが、仕事上の何よりの楽しみだからです。「私はOEMの経営幹部というよりも、航空会社の人間に近いのです」と、Curado氏。「自分たちの製品の活躍ぶりを耳にするのを心から喜んでいます」

Curado氏は、単純に人と関わることにも情熱を感じています。「人事が好きなのです」と、Curado氏は言います。人が職業人として成長するための手助けをするプロセスが楽しいというのがその理由です。「仮に自分がCEOではなく、別の役割を担う機会があるとすれば、人事部門の上級職を選びます。エンブラエル社を引退したら、そのような仕事をするかもしれません

Hear Frederico Curado on the key to success
https://www.youtube.com/watch?v=lJBPRu0Oxq0

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