Life sciences

プレシジョン医療

Rebecca Gibson
18 May 2016

1 min read

医療業界ではビッグデータや解析技術 を 活 用 し 、ひ と り ひ と り の 患 者 の 具 体 的 なニーズに合わせて治療を提供する新 し い 種 類 の 臨 床 診 療 、「 プ レ シ ジ ョ ン 医 療」の提供が始まっています。そのベース になるのが遺伝子や環境、ライフスタイ ルに関するデータに関する知識ですが、 膨大なノイズ(ゴミデータ)の中から真に 科学的に意味のあるデータを探し出すの に は 、依 然 と し て 課 題 が 立 ち は だ か っ て います。

世界規模で行われたヒトゲノム計画(Human Genome Project)では、人ひとり文のヒトゲノムDNAの30億塩基対を解読するために、科学者は13年の月日と30億ドルの費用を費やしました。それから25年が経過した今日では、個人のゲノムの解読は、およそ1,000ドルで、それも多くの場合1日で完了します。ゲノム情報をより安価に、より速く解読できるようになったことで、患者が持つ希少疾患をより簡単に診断できるようになり、研究者は特定の個人に合わせた治療を提供できるようになりました。

たとえば英国に住む4歳のJessicaWright ちゃんは、生来のてんかん発作と発育遅延を 患っていましたが、誰にもその原因がわかり ませんでした。

英国の10万人ゲノムプロジェ クトの一環としてJessicaちゃん本人と両親が 自分たちのDNAを解読し、解析・比較した結 果、2016年1月に、Jessicaちゃんはグルコー ストランスポーター1欠損症症候群と診断さ れました。これは脳細胞が正常に機能する ために必要なエネルギーが取り込まれない ことにより生じる非遺伝性疾患です。彼女の 脳にエネルギーが取り込まれるようにする ために、担当医は彼女に高脂肪食を摂るよ う指示し、結果的にてんかん薬の服用量を 減 ら す こ と が で き ま し た 。J e s s i c a ち ゃ ん は この「プレシジョン医療」の恩恵を受けている、 世界中の多くの患者の一人です。そしてこの テクノロジーをすべての人々へと広げる道の りは続きます。

世界的規模の投資

米カリフォルニア州に拠点を置く慈善団体 のGlobal Genesでは、世界中で3億5,000万 人の人々が、およそ7,000に及ぶ何らかの希 少疾患(その80%が遺伝子に起因)を患って いると予測しています。こうした中で、人はな ぜ、どのようにしてそうした病気を発症し、な ぜ治療効果が異なるのかを突き止めること ために、世界中のテクノロジー企業や研究機 関、政府が、健康状態やゲノムに関する膨大な量のデータを解析する取り組みを強化しています。彼らが目指すのは、小さな集団向けに、また、必要であれば特定の患者向けにカスタマイズされた的確なな治療法を開発し、そうした治療を手頃な価格で提供できるようにすることです。

世界中で以下のような取り組みが行われて います。
グーグルはニューヨークの自閉症支援団体、AutismSpeaksと協力して1万に及ぶ 家族のDNA配列を解読し、自閉症の診断 やタイプ別の分類、治療を推進しています
豪州ブリスベンの医療研究機関、QIMR Berghofer Medical Research Instituteと クイーンズランド工科大学の研究者は、ゲ ノミクスを活用し、がんやアルツハイマー 病の治療を個人に合わせて提供できるよ うにする方法を研究しています
オバマ大統領は、全米でプレシジョン医 療を推進するために2016年度予算に2億 1,500万ドルを計上しました
中国政府は、2030年までにプレシジョン 医療の研究に30億9,000万ドルを投資し ます

中国の深センに拠点を置く世界最大手のゲ ノミクス企業、BGI Genomicsは、すでに中国 全土で100万人分のヒトゲノムを解読しまし た 。同 社 は ま た 、イ ン テ ル や と 中 国 の ア リ バ バ ・ グ ル ー プ の 支 援 を 受 け て 、プ レ シ ジ ョ ン 医療の用途としてはアジア太平洋地域で初め て の ク ラ ウ ド ベ ー ス の プ ラ ッ ト フ ォ ー ム 、 BGI Onlineを構築しました。

「プレシジョン・ヘルスでは ゲノミクスとビッグデータを積極的に、予防的な観点から応用し、 病気を予防したり、少なくとも大事になる前に 診断したりできるようにします」

LLOYD B. MINOR氏
スタンフォード大学メディカルスクール学長
BGI OnlineとBGIのビッグデータ部門を率い るXin Jin氏は次のように語ります。「以前は、 医療機関や製薬会社、臨床検査機関は自社 のデータを解析するために高価なソフトウェ アを購入し、専門家を雇わなければいけま せんでした。しかし今は誰でもBGI Onlineに アクセスし、アリババのAli Cloudとインテル のアルゴリズムを使用して、複雑な遺伝子配 列 解 析 処 理 を 実 行 で き ま す 」。同 氏 に よ る と 、 いくつかの病院がこのサービスを試験的に 利 用 し て い る と い う こ と で す 。

強 固 な 基 盤

こうしたイノベーションすべての基盤となる のが、テラバイトかそれ以上の規模のビッグ データ、そして解析技術です。

医療調査会社のInformation Frameworks で最高調査責任者(CRO)を務めるNaeem Hashmi氏は次のように語ります。「ビッグ データ・プラットフォームは、体系化されてい ない、個人に関する膨大な量の表現型デー タ と 遺 伝 子 型 デ ー タ の 照 合 を 容 易 に す る た めの仕組みを提供します。こうしたデータ は 、社 会 経 済 や 環 境 に 関 す る 情 報 を 利 用 して 、さ ま ざ ま な と こ ろ か ら 取 り 込 ま れ ま す 。そ してそれらを統合し、さまざまな要因が人々 の健康にどのように影響を及ばすのかを把 握します」

フランス国立衛生医学研究所(Inserm)の CEO、Yves Levy氏によると、Insermでは3,000 人のがん患者の遺伝子を解読した遺伝性腫 瘍のデータを使用して現在の治療効果を評 価 す る 試 み を 行 っ て お り 、ビ ッ グ デ ー タ が そ こで重要な役割を担うと期待しています。

「私たちはダッソー・システムズの3Dエクスペ リエンス・プラットフォームを使用してビッグデータを自前のプロセスに統合し、バーチャ ルな生物学的モデルや化学的モデルを構築 するつもりです。生理病理学的な経路を再調 査して解析プロセスを改善し、新たな仮説を 立てるのです。これによって生物医学分野の 研究が一変し、人々の健康に極めて大きな 影響を及ぼすと考えています」(Levy氏)

診断や治療の先を見据える

米カリフォルニア州にあるスタンフォード大 学メディカルスクールはプレシジョン医療の さ ら に 一 歩 先 を 行 っ て お り 、ビ ッ グ デ ー タ を 活用して患者データベースやウェアラブルデ バイスからの情報を解析し、病気やその予防 の可能性を予測しています。

同大学のメディカルスクール学部長を務め
るLloyd B. Minor博士は次のように語ります。 「 プ レ シ ジ ョ ン・ヘ ル ス で は ゲ ノ ミ ク ス と ビ ッ グデータを積極的に、予防的な観点から応 用し、病気を予防したり、少なくとも大事にな る 前 に 診 断 し た り で き る よ う に し ま す 。こ れ により、専門的な治療が必要になる患者数 を大幅に削減できるでしょう。たとえば、私ど もはノースカロライナ州のデューク大学やア ル フ ァ ベ ッ ト 傘 下 の V e r i l y 部 門( 以 前 の グ ー グ ル ・ ラ イ フ サ イ エ ン ス 部 門 )と 協 力 し 、カ リ フォルニア州北部からノースカロライナ州 にかけて1万人が装着するデバイスから送ら れ て く る 健 康 デ ー タ を 記 録 し て い ま す 。彼 ら の健康状態がどのように変化するのかを長 期間にわたって追跡しているのです。参加者の誰かが将来、糖尿病を発症したとします。そのとき私たちは、彼らのデータを遡って調 べ、発症前に表れた徴候を特定できます。つ ま り 、似 た よ う な リ ス ク を 抱 え る 患 者 を 見 極 められるようになります」

スタンフォード大学メディカルスクールが 行 っ て い る プ レ シ ジ ョ ン・ヘ ル ス へ の 取 り 組 み に は 、た と え ば 無 細 胞 D N A( c f D N A )検 査 などの高度な診断法も含まれています。

cfDNA検査を使えば、妊婦の血液に含まれ る微量のDNAを調べて胎児がダウン症候群 かどうかを判断できます。現在使われている 羊水穿刺検査は費用がかかり、リスクも大き い の で す 。ま た 、現 在 の が ん 検 診 は 、定 期 的 に行うにはあまりにも高額で複雑です。しか し将来は、cfDNA検査を使って継続的なスク リーニングを行い、がんを早期に発見できる ようになるでしょう。これは特に、末期になら ないと症状が現れない卵巣がんや膵臓がん に有効です」(Minor博士)

患者の募集とプライバシー

プレシジョン医療を適用して個人に合わせ た治療を行うためには、研究者は何よりもま ず、数千人かおそらくは数百万という規模の 人たちを調べる必要があります。

英 オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 の 内 科・疫 学 教 授 、 Martin Landray博士は次のように説明しま す 。「 個 人 に 合 わ せ て 治 療 を 行 う こ と は 可 能 で す 。し か し 、患 者 の 病 気 が 治 療 に 対 し て どのような徴候や効果を示すのかを完全に把握するには、できるだけ多くの人たちの遺 伝子型データと表現型データを、同じ病気 を患う患者のデータと健常者のデータとを 比較する必要があります。私が受け持つ60 歳の糖尿病患者に薬を処方するときには、 20万人規模のデータベースから糖尿病患者 5,000人を素早く見分けられるアルゴリズム を使うことができます。そうすることで、糖尿 病患者全体の健康状態と私の患者の健康状 態との間の相関性を見極められます。たとえ ば60歳を過ぎてから特定の薬を服用すると 85%の人が血圧合併症を発症するので、そ の薬は処方しないようにします」

し か し 、電 子 カ ル テ( E M R )や M R I ス キ ャ ン 、 ウェアラブルデバイスによってかつてないほ ど多くの医療データが使われるようになる中 で、患者のプライバシー管理をどう確保する かが、プレシジョン医療を促進するために必 要なデータの共有・解析を難しくしています。

中国の深センに拠点を置くBGI Genomics社の科学者はすでに、中国全土で100万人分のヒトゲノムを解読しました。 BGI社が提供しているクラウドベースのサービスが、医学研究者や病院を支えています。(Image: © BGI)

そのため、英国の国民医療サービス(NHS England)では国内13ヵ所にゲノムセンター を立ち上げ、Genomics Englandの10万人 ゲノムプロジェクトに同意する患者を募り ました。このプロジェクトは2014年12月に 始まり、2017年までに7万人の患者とその 家族から10万のヒトゲノムを解読します。 Genomics Englandではすでに、1万人の人 たちから同意を得て7,000以上のゲノムを解 読しており、研究者は希少疾患や遺伝性疾 患 、が ん の 診 断 ・ 治 療 方 法 を 改 善 す る と い う 目 標 の 達 成 に より 近 づ い て い ま す 。

Genomics Englandのバイオインフォマティ クス部門責任者、Tim Hubbard氏は次のよう に説明します。「これまでは、個人を治療する ためか、大規模研究用に匿名扱いにして配 信するか、いずれかの目的でデータが収集 さ れ て い ま し た 。し か し 、す で に 統 合 さ れ た インフラが整備されています。データはまず ひ とり ひ とり の 患 者 の た め に 解 析 さ れ ま す 。 そ れ か ら 一 括 し て 解 析 さ れ 、私 た ち が 人 々 を 比較するために必要な膨大なデータサンプ ル と な り ま す 。1 日 あ た り お よ そ 1 0 0 の ゲ ノ ム を解析しますので、このデータ容量を解析で きる計算能力を持つ外部の企業3社と提携し て い ま す 。た だ し 、患 者 の プ ラ イ バ シ ー を 維 持するために、企業の研究者も学術機関の 研究者も、英国政府のプライベートG Cloud にある私どものデータベース内でデータを 解析しなければなりません」

1 0 万 人 ゲ ノ ム プ ロ ジ ェ クト に は 1 回 限 り の プ ログラムとして資金が提供されましたが、 Hubbard氏は全ゲノムシーケンス解析も経 済的に実現可能になり、NHS England内で広範に利用できると考えています。「私どもで は、調査している個々の病気の臨床データモ デルと適格性基準を開発しました。つまり、本 質的には、将来はがんや希少疾患以外の健 康状態を対象としたプレシジョン医療にも拡 張できるフレームワークを構築したのです」

ノイズから意味を抽出する

大量の未加工データを意味のあるものにす るには、研究者が容易に解析でき、臨床医が 迅速に検索できるフォーマットになっていな ければいけません。

Landray氏は次のように語ります。「UK Biobankが患者50万人分の遺伝情報を解読 し終えた時には、統計的補完法を用いてお よそ7,000万に及ぶゲノム変化を予測できる ようになるでしょう。難しいのは、その解釈方 法を見つけることです。こうした7,000万に及 ぶ情報の断片は、特定の病気に関係すると も 、し な い と も 言 え ま せ ん 。私 た ち に 必 要 な のは、どのように関係するのかを解き明かす ための優れた解析技術とアルゴリズムです。 ビッグデータを使えば、臨床医もわからな いような、MRIスキャンやアクティビティモニ ターで収集されたデータの中の予期せぬパ ターンも検出できるようになります」

ただし、ほとんどの医療機関はビッグデータ を適切に収集・管理・解析する課題に対する 準備ができていません。

Hashmi氏は「世界の医療制度に目を向けれ ば、提供者がそれぞれ独自のITシステムを 使 っ て い る た め 、い ま だ に ば ら ば ら で す 」と 語 り ま す 。「 多 く の 場 合 、 一 つ の 組 織 内 で も 、 たとえば放射線や心臓病などのように部門 が異なれば別々の電子カルテ(EMR)システ ムを使用しています。ビッグデータ・プラット フォームはプレシジョン医療に非常に大き な可能性をもたらしますが、ばらばらのITシ ステムを統合してデータを自由に共有する 方法を見つけながら、一方では患者のプラ イバシーを守り、解析したデータに容易にア クセスできるようにして診療に取り込めるよ うにしなければ、無駄な障壁をもう一つ増や すだけになってしまいます」

すべての要因を解析する

しかしながら、すべての研究者がプレシジョ ン医療を強く支持しているわけではありませ ん。米ミネソタ州Mayo Clinicの麻酔医であ り生理学者でもあるMichael Joyner博士は、 遺伝子変異と病気の相関性を探るためにひ たすらゲノムデータを探しまわっていても、誤った相関性に行き着く可能性があると警 告します。実際には、社会経済的要因や環境 的要因の研究のほうが有益な場合があると 指摘します。

「こうした7,000万に及ぶ 情報の断片は、特定の病気に関係するとも、しないとも言えません。 私たちに必要なのは、どのように関係するのかを 解き明かすための優れた解析技術と アルゴリズムです」

MARTIN LANDRAY博士
英国オックスフォード大学、内科・疫学教授 (UK BIOBANKに関して語る)

「何の問題もない健常者たちの多くが、病気 に関係している遺伝子変異を持っています。 しかし、遺伝子変異は多くの場合リスクをわ ずかに高めるだけで、多くの人から大規模な サンプルを取って広範にゲノム解析を行って も偽陽性になる場合があります。がん治療に プレシジョン医療を試してもまだ期待に応え ら れ て い ま せ ん が 、禁 煙 条 例 の 導 入 や ヒ ト ・ パピローマウイルスの予防接種は効果が確 認 さ れ て い ま す 。さ ら に 、研 究 で は 、遺 伝 的 リスクスコアを使用した治療は必ずしも効 果が高くないことが報告されています。薬の 処方量を調整する際に、患者のワルファリン(血液の凝固を抑える抗凝血薬)代謝に関 するデータを使って調整しても、年齢や体重 に合わせて調整しても、大きな違いはありま せん」(Joyner氏)

健康な未来

こ の よ う な 疑 念 が 示 さ れ 、ま た 、研 究 者 や 臨 床医が普通にゲノミクスとビッグデータを使 用して多くの患者を診断・治療するのが当た り前になるまでには長い道のりが待ち構え ているにもかかわらず、2015年11月の報告 書『Global Precision Medicine Market — Estimation & Forecast (2015-2022)』による と、世界のプレシジョン医療市場は2022年 には880億ドルに達すると予測されていま す。

スタンフォード大学メディカルスクールの Minor博士は次のように語ります。「患者が医 療 デ ー タ か ら 切 り 離 さ れ 、医 療 提 供 プ ロ セ ス から排除されていたのはすでに昔のことで す。プレシジョン医療やプレシジョン・ヘルス には先行投資が必要です。しかし最終的に は、病気を早期に予測・予防し、診断・治療で きるようになれば、高度な専門的治療に要す るリソースやコストが抑えられます。そして何 よ り も 重 要 な の は 、人 々 が よ り 良 い 人 生 を よ り長く楽しめるように支援できるのです」◆

詳しくはこちらから:
http://bit.ly/DesignedToCure

The problem and promise of precision medicine:
http://bit.ly/PrecisionMedbyTIME

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