2012年10月にIBM社の研究者チームが、新しい技術でカーボンナノチューブ(CNT)から半導体回路製造に成功したと発表して以来、テクノロジーウォッチャーが、以前より予想されていたシリコンの終焉について活発に意見を交わしています。それでも業界アナリストや投資アナリストは、シリコンを置き換える開発競争の明らかな勝者を選びかねています。
ボストンに拠点を置き、新興テクノロジーに着目する世界的なアナリスト企業Lux Research社でエネルギー・エレクトロニクス調査チームを率いるPallavi Madakasira氏は次のように述べています。「ナノチューブには確かに可能性があります。シリコンが性能の限界に近づいているのも明らかです。IBMのアプローチは有望ですが、製造の現行ソリューションに技術を取り込み、半導体製造施設で現在使用されている既存の設備を活用する必要性もある事をわすれてはいけません。」
ナノテクノロジーは、ナノチューブやその他のナノ材料を含む広範囲な産業分野です。この分野への投資は堅調で、勢いを増しています。Lux Research社は、何らかのナノテク部品を含む製品の世界での売上高は、2015年までに2.4兆米ドルに達すると推定しています。英国のロンドンに拠点を置き、ナノテクノロジー、新素材、生命科学、ビッグデータを専門とするアナリスト企業Cientifica社のアナリストによると、ナノテクノロジーへの政府投資が世界中で増加しています。Cientifica社の調査では、日本と米国の政府がナノテクへの資金提供で世界をリードしており、European Nanotechnology Trade Alliance(ENTA)、中国、シンガポール、韓国、台湾が続いています。
コンピューティングの次世代の主役
シリコンは安価で豊富に存在し、扱いが容易で、この半世紀の間、デジタル世界の中核素材となりました。1965年にIntel社の共同設立者ゴードン・ムーア氏が、一つのシリコンチップに搭載できるトランジスタ数は18ヵ月から24ヵ月ごとに2倍になると予測した「ムーアの法則」を唱えて以来、業界でも驚きをもって受け止められているように、この法則が実現されてきました。トランジスタは実際、大幅に微細化されており、原子レベルの寸法に近づきつつあります。
「すべて想定通りに進めば、 エネルギー効率の高い計算が 可能になるという恩恵が得られます。」
WILFRIED HAENSCH 氏
IBM 社ロジックと通信のための物理学と材料 担当シニア マネージャー
トランジスタのサイズは小さくなり続けていますが、このように微小なサイズで電気を伝える能力はシリコンの限界に近づいています。現在のシリコントランジスタでは、ビットを0から1に変えるのに約1ボルト必要です。切り替えによって熱が発生しますが、チップ上に集積できる構造の密度は熱によって制限されます。そのため、シリコントランジスタが1から0に切り替わる時間であるクロック速度は、本質的に10年前で既にピークを達しています。
向上が止まったクロック速度を補うために、技術者は並列計算を発達させました。たとえば「クアッドコア」スマートフォンは4つのプロセッサを備え、タスクを分割して同時に処理を行います。しかし専門家たちの意見では、遠からずシリコンの限界に達するであろうという意見で一致しており、それが、『Nature Nanotechnology』誌に掲載されたIBM 社発表の騒ぎの背景です。IBM 社の研究者たちは、シリコンに代わるものとして、カーボンナノチューブの実用面を示したのです。
米国ニューヨーク州ヨークタウンハイツにあるIBM社トーマス・J・ワトソン研究所のチームは、シリコンウェハーの表面にエッチングされたトレンチにCNTを正確に配置し、それらを使って動作するトランジスタが1万個以上あるチップを初めて製造しました。現在のシリコンチップには、IBM社がCNTで実現した数の10万倍に相当する、10億個以上のトランジスタを搭載できることを考えると、これはあまり多くないように思えるかもしれません。しかしこれは、ナノチューブを回路内に配置できることを証明しています。CNTはシリコンより低い抵抗で電気を通すため、プロセッサが小さくなり、消費電力と発熱量が低下する可能性を示俊してます。
IBM社でトランジスタおよびと通信のための理論と材料を担当するシニアマネージャーのWilfried Haensch氏は、「現時点では、これがシリコンを置き換える最先端の技術です」と述べています。Wilfried Haensch氏は、この研究における自身の役割を、「最終的に技術に何を融合できるかを開発するチームを動かす際の先導役」だと説明しています。
微細な金網
CNTは、個々の炭素原子を網目状に配置したシートを巻き、微細な円筒状の金網に似た構造に形成します。CNTは優れた半導体特性を持ち、電子を効率的に伝導しますが、チップ表面でチューブを完璧な回路に配置するのが、非常に困難でした。
IBM社の研究者チームは、化学的な「自己組織化」プロセスを開発し、チップ上のあらかじめ決まったパターンにチューブを配置することに初めて成功しました。IBM社の複雑な多段階プロセスを説明するには、難解な分子化学の専門知識が必要ですが、基本的にはトナーを使うレーザープリンタと同じ静電気の原理です。「実際にはとてもシンプルです。これが機能するのは驚きですが、勘違いしないでください。適切な分子を用意しなければなりません。それが結果を決めるのです」(Haensch氏)。
1万個のトランジスタが動作する状態で、IBM社は1平方センチメートル当たりナノチューブ10億個の有効チップ密度を実現しました。この密度は従来のシリコンを置き換えるのにレベルにはまだほど遠いですが、以前の試みより100倍優れており、シリコン置き換えを視界に捉えたという楽観論が生まれてます。「すべて想定通りに進めば、エネルギー効率の高い計算も可能になります」と、Haensch 氏は語ります。IBM社は現在、カーボンナノチューブ材料の純度向上に焦点を合わせ、半導体特性の最適化と純度の検査手法の開発を行っています。必要なのは、回路に集積された数十万のCNT 当たり、不良金属型CNT が一つにとどめる材料純度です。現在ボトルネックとなっているのは、材料純度の検査です。Haensch 氏は次のように述べています。「デバイスを作成して特性を測定するのは難しくありません。しかし、この純度レベルに必要な、数百万という大量の数のデバイスを個別に測定するには非常に時間がかかります。純度レベルが得られるシンプルで簡便な方法があれば望ましいのですが、現在は存在しません」。
ナノチューブを配置する手法の精度を高める必要もあります。Haensch氏の目標は、2020年までにナノシステム環境で機能する新たなデバイステクノロジーを開発することです。
シリコン置き換えの技術競争
米国ノースカロライナ州ウィンストン・セーラムにあるウェイクフォレスト大学で、ナノテクノロジーおよび分子材料センターのディレクターを務めるDavid Carroll氏は、IBM社の研究を称賛していますが、期待される成果については慎重な見方を示しています。「この発表は、研究過程における画期的な出来事ですが、やるべきことはまだたくさんあります」とCarroll氏は語ります。彼は、すべての技術的障害を克服できても、ナノチューブチップが商業化されるまで数十年かかると予測しています。
Carroll 氏は、CNT は実際には商業的に実現可能なシリコンにとってかわる最初の代替品ではないかもしれないと述べています。たとえば、オーストリアの高名なKirchberg Winter school での2013年の発表では、ナノチューブは言及さえされず、グラフェンが新たな「驚異の素材」として議論されました。その他の可能性として、情報を光で転送するシリコンフォトニクスもあります。それ以外に、特殊な問題を解くためにDNAのさまざまな分子を多数利用するDNAコンピュータの研究が続けられています。アインシュタインが「不気味な」科学と呼んだ量子コンピューティングに取り組んでいる研究者もいます
一方、Lux Research社のアナリストMadakasira氏は、1990年代以来LED(発光ダイオード)に使われてきた、高い熱容量と熱伝導性を持つ安定した硬質材料である窒化ガリウムに大きな関心を寄せています。
選択肢の魅力
シリコンテクノロジーの成果物が小さくなる中、新たな応用範囲が広がります。Carroll 氏は、人間の臓器を修復するための有機デバイスや、人が脳で義肢やキーボードさえ制御できるようにする神経回路網の研究を挙げています。実際に、Carroll氏のNanoCenter は最近、同所の研究者が、人体の熱と動きから電力を生み出す新しい布を開発したことを発表しました。