科学的手法

新しいテクノロジーによって変わる研究の進め方

William J. Holstein
17 October 2014

科学研究はかつてほど多くのブレー クスルーを生み出していません。しか しコンピュータ・シミュレーションか ら、ビッグデータ・マイニングに至るま で、新しいテクノロジーは、物事を発 見する過程を再構築する可能性を秘 めています。

さまざまな側面からみて、世界の科学 界は今、最も困難な時代にあるでしょ う。しかし今後、これまでで最も素晴 らしい時代を築くことも可能です。

この二重性の理由は何でしょうか。医薬品、 バイオテクノロジー、マテリアル、その他の科 学分野の 究者は、何百億ドルもの資金が 研究開発に投資されているにもかかわらず、 その効果があまりに小さいことにいら立って います。しかし、テクノロジーと科学における イノベーションが融合することで、あらゆる課 題に素晴らしいなチャンスがもたらされるの です。

Technology is radically changing the way researchers experiment with molecules, heralding a new era in scientific innovation.Image © Photographe : François Chevalier-3D: Timothée Vigouroux

新たな世界秩序

米マサチューセッツ州フラミンガムのIDC Health Insights社によると、製薬会社が新薬 を市場に投入するまでにかかる期間は8年か ら12年で、12億から18億米ドルの資金を必要 としています。一方で研究者たちはアルツハ イマー、そして比較的患者数が少ないとされ る多発性硬化症(MS)や筋萎縮性 索硬化症(ALS)といった、より難しい病気に立ち向かっています。

科学者が直面している複雑性は、激増する データ量に圧倒される脅威であります。しか もこの大きな問題は医療機器・医薬品業界だ けが直面しているものではありません。マテ リアル(材料)研究の分野においても、科学者 はナノレベル、あるいは亜原子のレベルでの 分析手法を確立するなかで、複雑性の問題と 格闘しているのです。

米ニューヨーク州に所在するコーニング社で ガラス研究部門のリサーチ・マネージャーを 務めるJohn Mauro氏は次のように述べてい ます。「当社も医薬品業界の皆さんと共通す る多くの課題に直面しています」

 テクノロジーは複雑性の増大を助長する一 方、それらを管理するツールも提供していま す。データ量が増える中で、データ分析は科 学者のより深い理解を促進しています。デー タ分析の精度が高まったことで、科学者は 個々の分子がヒトの組織にどのように作用す るか、またジェット機にカーボン・グラファイト を使い、様々な空気圧や温度にさらした場合 の耐性をモデリングおよびシミュレーション し、予測することが可能です。

米ペンシルベニア州を拠点とする工業ガスお よび機能性材料メーカーであるAir Products 社でコンピュテーショナル・モデリングを担当 するマネージャーのSanjay Mehta氏は次のよ うに述べています。「世の中を変革する最大 のゲームチェンジャーは、高性能コンピュー ティング技術です。これは何十億ものシナリ オをシミュレーションする能力です。研究室 ですべての実験を自分の手で行うことはでき ません」

「私たちの世界はよりバーチャルに 統合されたネットワーク社会へ と移行しています。」

PAUL MCKENZIE氏
Janssen Pharmaceuticals社、製造およびテクニカルオペ

材料設計をオンデマンドで行う技術は画期的 です。例えばコーニング社では、データドリブ ン・モデリングを用いてガラスの基本的な特 性を予測し、同社の三世代目製品Gorilla Glassを発明しました。同製品は、エネルギー によって割れるのではなく、それを吸収する 特性を持ち、多くの携帯電話やデバイスで採 用されています。

研究モデルの転換

ライフサイエンスの分野は従来、製品化の ペースが遅くなりがちでした。創薬から医薬 品の開発、製造、治験、臨床試験、そして政府 の規制当局によるレビューまでの工程をリン クさせることが困難なためです。

米ニュージャージー州を拠点とするJohnson&Johnson(J&J)社傘下のヤンセン ファーマスーティカ社の製造およびテクニカルオペレーション担当シニア・バイス・プレジデントであるPaul McKenzie氏は次のように述べています。「消費材、医薬品、あるいは医療機器 を問わず、製品の研究開発段階から、製品を消費者や患者に届けるまでの流れをよりシー ムレスかつ管理された手法で実現することは、あらゆる業界の共通の命題です」

何十年もの間、科学研究、とりわけライフサイエンスにおいては、科学者個人または少人数のグループが、孤立した状態で研究に従事してきました。成功は発表されるものの、失敗は忘れられ、他の者が同じ間違いを繰り返 してきました。科学者チームが、実用的な化 合物を実際に特定した場合も、その情報は開 発チームに転送され、次に製造に回されま す。各部門が前の部門の作業内容を理解しよ
うとするなかで、大なり小なり同じ作業が繰り 返され、知的財産(IP)が失われるのです。

「このようなモデルは機能不全に陥っていま す」と主張するのは、米インディアナ州のイー ライリリー社に30年勤務し、現在カリフォル ニア州のミルケン研究所(Milken Institute)の中にあるFasterCuresでシニアフェローを 務めるBernard Munos氏です。

新しい改善モデルでは、科学者が自分の研究 結果をすべて、成功も失敗も併せて、電子実験 ノート(ELN)に入力し、データを一元管理し、 他のプロジェクトの研究者や、開発や製造に 携わる同僚のベンチマークとして活用します。

崩壊がはじまったサイロ

研究調査会社であるOvum社の製薬業界アナ リストであるAndrew Brosnan氏は次のよう に述べています。「かつての製薬会社は、縦割 りの傾向が非常に強い組織となっていました が、今、それが解体されつつあります」。その 背景にあるのが科学者や開発者によるコラ ボレーションを基本とする研究体制です。

前出のMcKenzie氏は、次のように述べてい ます。「私たちの世界はよりバーチャルに統合 されたネットワーク社会へと移行しています。 私が医薬品メーカーの社内でA、B、Cの工程 を担当し、D、E、Fについては外注する場合も あるでしょう。」

罹患した場合、死にいたる危険もある薬剤耐 性の強い結核の再流行と闘う、インドの科学 産業研究委員会(CSIR)の取り組みは、創薬プ ロセスの新しいモデルを構築する可能性があ ります。CSIRは、オープンソースの研究開発モ デルを採用し、世界中の科学者にその専門知 識の提供を求めた結果、830名の科学者が自 発的に参加し、わずか4ヵ月で取り組みが大き く前進しました。

Munos氏は次のように述べています。「830名 もの人々がこのような課題に取り組めば、ス ピーディに成果をあげることができます。そ れは300人が3年弱務める業務量に匹敵しま した。普通の科学者が一人で人生のすべてを このプロジェクトに費やすことはないでしょ う。解決を自分の目で確認できませんし、そ の評価を得ることもできないからです」

基準の合意

結核のプロジェクトはそれが人の生命を脅か す危機への対応だったため、うまくいったも のの、ビジネスの世界において社外との幅広 いコラボレーションをサポートするシステム を作りあげることは極めて困難です。誰がど のIPを管理するかは重大事項です。そのた め、コラボレーションを支える共通の基準や 手順の必要性が高まっています。

ファイザー社で、英国を拠点にテクノロジー およびイノベーション担当シニアディレク ターを務めるGerhard Noelken氏は次のよう に述べています。「データの定義の仕方がバ ラバラなのです。分析結果の定義手法を定め る基準は一つもありません。適切な定義の合 意ができれば、企業同士やパートナー間で データや情報を交換することが、もっと容易 になります」

J&J社をはじめとするテクノロジーベンダーの 大手エンドユーザー企業は、ベンダー各社の ITソリューションについて、プラットフォーム を問わず柔軟に利用できるよう、ベンダー各 社にはたらきかけています。ベンダー側がそ れをできないとする場合や、それに対応しな い場合、業界に新たなバベルの塔が建立さ れ、他の組織からはアクセス不可能な数多く のダークデータが生まれるリスクがあります。

新しく開発されたヨーグルトやチーズの培養菌のバクテリアの発酵プロセスは極めて複雑です。科学者はヒトゲノムの解析から爆発的に増大するビッグデータ に至るまで、かつてないほどの複雑性に直面しています。(画像©Chr.Hansen社)

研究所から店頭の棚まで

研究の新たなビジョンは研究所の中で芽生 えます。電子研究ノートの運用開始は多くの 企業にとって不満でした。一部の科学者が、  検証前のアイデアを公開しなければならない にように受け止めたからです。また、初期段 階では、ソフトウェアや対応するデータベー スも十分に堅牢なものではありませんでし た。IDC Health Insights社のリサーチ・ディレ クターAlan S.Louie氏は次のように述べてい ます。「初期段階の多くの取り組みは、人々が 望んでいたレベルの価値を実現できていま せんでした」

しかし、コンピュータの計算能力が向上した ことが追い風となりました。ファイザー社のリ サーチ・フェローであり、米コネチカット州を 拠点とするRobert Wade氏は、電子研究ノー トの導入により、同社の基礎開発を手掛ける 薬学ユニット三部門の連携が実現したと説明 します。同社はシステムの利用者がわずか 230人の時点で、200万米ドルの節約ができ たと推定しています。今日、同電子研究ノート システムの利用者数は900人です。 Wade氏は次のように述べています。「データ が利用可能となり、簡単に共有できるように なると、システムを使うことの恐怖はすぐに 払拭されました。逆に皆が、類似するプロ ジェクトに取り組む他の科学者のデータへ アクセスを要求したのです」

医療機器・医薬品業界の企業は、こうしたシ ステムをはじめとするITシステムをファイザー 社のように関係者全員に拡張することのメ リットを理解しています。例えば前出の McKenzie氏は、米国食品医薬品局(FDA)や 各国の同様の組織に対し、製品が規制要件 を満たし、治験で使用した材料と一致してい ることを証明するためにITシステムを活用す る可能性を検討しています。現在そのような 制度の大部分は書類で行われているため、そ の作業に多くの時間と労力を費やさなけれ ばなりません。

McKenzie氏は次のように述べています。「こうした業務は、人々が大量の書類を確認する のではなく、ボタン一つで処理されるべきで す。それによって効率性は大きく向上するで しょう」

Source: Battelle, R&D Magazine

個別化医療

テクノロジーは急速に発展しており、近い将 来、がん患者はゲノム解析でがん特有の変異 を分析することによって、どのような化合物や 化合物群、あるいはDNA配列がもっとも副作 用の少ない最良の結果をもたらすかを判断 できるようになります。マテリアル分野では、 テクノロジーによってほぼすべての製品作り を向上できる可能性があると科学者は見込ん でいます。

課題はあるものの、世界の科学界は主要な発 展に導かれ、これまでで最も素晴らしい時代 を築くべく、次の大いなる飛躍を遂げようとし ています。

William J.Holstein氏は、ニューヨークを拠点とするビジ ネスジャーナリスト兼作家です。最新の著書は「The Next American Economy:Blueprint For aReal Recovery」で す。Holstein氏の作品についてのより詳しい情報はこちら をご覧ください:williamjholstein.com

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