ヒト・マイクロバイオームヒト・マイクロバイオーム

わたしたちの体内細菌が次の医療革命となり得る理由とは

William J. Holstein
10 October 2016

平均的なヒトは、消化器系の中に重さ0.9~1.4kgと推定される、異なる2万種の細菌を宿しています。研究者は、まとめてヒト・マイクロバイオームと呼ばれるこれらの細菌が、驚くほど多様な病気に関連していて、おそらくそれらの病気の治療法にも関係があることを理解し始めました。

科学者によれば、平均的にヒトは、消化器系の中に2万種の異なる細菌を宿しています。まとめてヒト・マイクロバイオームと呼ばれるこれらの細菌については、糖尿病、肥満、ぜんそく、自己免疫疾患を含む多様な病気との関連が分かってきました。また、うつ病やメンタルヘルス全般との関連性も明らかになってきました。

科学者は、遺伝子シーケンシング装置を使用してDNAを解読することで細菌を識別することができます。その知識が、ヒトの健康を理解する分野で新時代を招く案内役となっています。

米国、ヨーロッパ、中国の研究者たちが、得た知識をいかに利用するかにしのぎを削っています。複雑さは驚くほどで、科学者は、異なる細菌集団がどのように相互作用するか分からず、細菌がヒト宿主の健康に影響を及ぼす特定のメカニズムを理解できていません。ただ、地球の別の地域に住む人では、体内の細菌集団が大きく異なることだけは分かっています。細菌の集合体はそれぞれ異なることが、ある民族グループは他の民族グループではまれにしか発生しない疾患にかかりやすい理由の説明になると考えられています。そしてそれが、ヒトの腸内に住む細菌の混合体を管理すれば、病気の防止や治療が可能ではないかと多くの科学者が自問する理由となっています。

複雑な知られざるもの

この分野のパイオニアで、American Gut (アメリカ人の消化管)プロジェクトの責任者であるRob Knight氏は、世界でも指折りのヒト・マイクロバイオーム科学者の一人です。このプロジェクトは、ヒトの消化器系内の微生物多様性を理解するための、世界最大級のオープンソース科学プロジェクトです。

Knight氏は次のように述べています。「マイクロバイオームの複雑さは、関係する遺伝子の数、形態の数、細胞間の親和力だけを考慮しても、おそらくガンの複雑さを上回っています。ヒトの微生物は、ヒト自身よりもはるかに多い遺伝子を持っていて、それらの間のつながりもはるかに多いのです」

純粋に技術的な観点からそのすべてを理解する一つの鍵となるのは、遺伝子解読コストの低減です。これは、DNAシーケンシング装置の革新を続けることを意味します。

「大きな課題は、実をいうとDNAシーケンシングです。現在のところ、DNAシーケンシング一回分のコストが高く、多くのサンプルを集めてシーケンサーに入れる必要があります」(Knight氏)

中国の深圳にあり、以前はBeijing Genomics Instituteと呼ばれていたBGI研究所は、世界で最も多くDNAシーケンシング装置を購入している研究所です。BGIは、生まれたばかりの子供の消化器系に住む細菌など、多くの遺伝子関連テーマを探究しています。

データの解読

ただしマイクロバイオームの複雑さは、よく取り上げられるビッグデータの課題を簡単なことのように思わせます。American Gutプロジェクトでは、カリフォルニア州カールズバッドの株式非公開バイオテクノロジー企業、MO BIO Laboratories社のDNA抽出プトロコルを使用しています。その後、結果をカリフォルニア大学のスーパー・コンピューター・ネットワーク、またはクラウド・コンピューティング・サービスのプロバイダーであるAmazon Web Servicesのいずれかで処理します。

ビッグデータ、スーパーコンピューティング、クラウドコンピューティングといった分野はすべて、急速な進化を遂げているところで、マイクロバイオームを理解するうえですべてが絶対に必要です。Knight氏は次のように述べています。「それは、ケーキで最も重要なのは小麦粉か玉子か砂糖か、と尋ねるようなものです。好結果を得るには、それらすべてが必要だというのが現実です」

今までに約6,000人の腸内細菌がAmerican Gutプロジェクトによって解析されましたが、データの複雑さは誰にとっても解読が困難なレベルで、医師にとってさえ同様な状況です。

複数の科学の結集

テクノロジーはさておき、ビバリーヒルズにある南カリフォルニア大学応用分子医学センターで、医学と工学の教授およびディレクターを務めるDavid Agus博士は、マイクロバイオームの秘密を解明したい科学者は研究の実施方法を変える必要があると指摘しています。Agus博士は、研究分野をマイクロバイオームへ拡大中の、優れたガン研究者でもあります。

Agus博士は次のように述べています。「私のチームでは、物理学者、数学者、数学モデルを作成する学者、生物学者がすべて一つのチームに集まっています。チームでは、十年前には異端とみなされたようなことを行う必要があります。複数の科学を結集する必要があるのです。そのようにして、この分野で飛躍的な進歩を遂げようとしています」

「チームでは、十年前には 異端とみなされたようなことを 行う必要があります。複数の科学を 結集する必要があるのです。そのようにして、この分野で飛躍的な進歩を 遂げようとしています」

DAVID AGUS博士
南カリフォルニア大学ガン研究者

Agus博士のチームは、大量のプロセッサーや別個のコンピューターを使用する高度なタイプのスーパーコンピューティングである超並列コンピューティングを利用して、連携して処理される一連の演算を同時に実行しています。

Agus博士は、すべてのデータポイントを確立すること、たとえば、細菌の一つの集団がもう一つの集団とどのように関係をもつかにこだわるのは愚かだと主張しています。それは、予測可能な近い将来の間は、最も強力なスーパーコンピューターでさえ能力不足であるためです。

近似値に基づいて「粗い」理論を開発する方がよいとAgus博士は指摘します。粗理論とは、正確なつながりは誰も理解していなくても、タバコの喫煙者ではほぼ例外なく肺ガンのリスクが高まると認められている、といったものです。Agus博士は、現れつつあるマイクロバイオーム分野に対して、類似した常識的アプローチを取ることを勧めています。「これは姿を現した複雑な系統です。すべてのデータポイントを理解しようとする還元主義のアプローチではなく、モデリングの観点で考察する必要があります」

産業界の対応

取り組みは始まったばかりですが、異なる産業がどのように利益を得ようとしているかを示すいくつかの兆候があります。たとえば、年間数千人の死者を出しているクロストリジウム・ディフィシレ(C. diff)という名前の、抗生物質が効かない「スーパー細菌」に対する1つの医療行為として、糞便微生物叢移植が行われています。患者は実際には、C. diffを一掃する目的で、健康なドナーから糞便微生物叢を大腸内視鏡で注入されます。

この方法は、米国ではC. diffの病状に対して有効であることが示されてきましたが、米国食品医薬品局(FDA)は、その他の細菌平衡失調についてはこの方法を認可していません。そのため一部のメーカーは、処理済みの糞便物質を含む、飲み込める錠剤を開発してきました。目標は同じで、消化管の細菌バランスを変えることです。

もう一つ爆発的成長を遂げている分野は、プロバイオティクス(ヒトの体に有益な作用をもたらす微生物)です。プロバイオティクスは、「善玉菌」の数を増やすために口から摂取します。突破口は、英国オックスフォード大学で生体医工学修士号を修得して卒業したKarl Seddon氏によって発見されました。
プロバイオティクスはこの突破口のおかげで、大腸に達するまで消化管を無傷で通過できます。情報によると、一回の服用で、大腸に達すると平均的なプロバイオティクス・サプリメントと比べて50倍多い善玉菌を届けられます。これは、英国に拠点を置くElixa Probiotic Limited社という企業による第一歩です。六日間のプログラムに従った投薬計画によって、平均的なプロバイオティクスの百億単位と比較して、三兆の「善玉菌」がユーザーのマイクロバイオームに放たれるとElixa社は報告しています。これはフードサプリメントと見なされるため、Elixa社のカプセルは多くの国で処方箋なしで入手できます。

生態系の変更

ただし、これらの方法は、さまざまな細菌とヒト宿主との間の相互作用において正確には何が起きているかについて、深い理解を実現するという目標と比べれば、洗練されていない手段です。

長期的には、製薬会社または食品会社のいずれか、あるいはその両方が、大きな見返りを得られる可能性があります。それが実現するのは、特定の健康上の成果が促進される方法でマイクロバイオームに影響を及ぼすように、既存の製品を微調整したり、新製 品を開発したりする方法を突き止めたときです。現在のところ、食品業界がさい先のよいスタートを切っています。これは、製薬会社は通例、特定分子の識別を試みて特許を取得し、その後、臨床試験を実施して政府の監督官庁から認可を得るためです。

SCOTT J. PARKINSON氏、Nestlé Institute of Health SciencesのGastrointestinal Health and Microbiomeグループ責任者(Image: © Greg Lefebvre氏 / Nestlé Institute of Health Sciences)

Scott J. Parkinson氏は、スイスのローザンヌにあるNestlé Institute of Health Sciencesで、Gastrointestinal Health and Microbiomeグループの責任者を務めています。彼は、単にマイクロバイオームの数学的複雑さによっても、新しい形態をとらせるために異なる物質の混合物が必要な場合もあり、一分子溶液では奏功しない可能性があると述べています。「変えようとしているのは一つの微生物ではありません。研究者たちは、ますますそのことを自覚するようになってきています。実際には、生態系を変えようとしているのです」(Parkinson氏)

広大な可能性を容易に思い描くことができます。たとえばネスレ社が、多くの製品ラインの一つにすぎない乳児用ミルク製品を、異なる地域のさまざまな種類の子供に向けて微調整できた場合、とほうもない健康上のメリットと大きな売り上げが得られることになります。

Parkinson氏は次のように述べています。「ネスレ社やその他の食品会社は、製品開発に関する限りは、多額の予算を投じてマイクロバイオームの将来を理解しようとしています。特に限定した患者集団で探している生態系を得るために、脂質、炭水化物、タンパク質に関する知識を組み合わせて、複数のレベルでマイクロバイオームをターゲットとする製品が考えられるかもしれません。そこから、さまざまな消費者や患者のためにその製品を拡充し、特殊な要件に合わせて製品を作ることができます」

Agus博士と同様にParkinson氏は、科学者が遠からずマイクロバイオームの秘密を明るみに出すことに成功するとは考えていません。少なくとも今は、科学者は何が機能するかに関して、昔ながらの科学的手法に頼って仮説を立て、それらの理論をテストする必要があるでしょう。たとえば、特定の薬品に対する個々の反応を、各個人のマイクロバイオームに関するヒントを明らかにするバイオマーカーとして役立てることができます。

このレースは本当に世界中で行われていて、そのペースは上がりつつあります。治療できない病気で苦しむ多くの人々が、答えが早く出ることを望んでいます。◆

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