クモの巣の科学

自然界で最も頑丈な物質の合成に取り組む研究者たち

Rebecca Lambert
19 October 2014

クモの糸は、その並外れた強さ、柔軟性、生体適合性において、自然界で最も優れた物質の一つです。現在、合成クモ糸の 大量生産に向けた研究が進んでいます。

ドイツにあるハノーバー医科大学の研究 所は、傷の処置や、断裂した腱や神経 の修復にクモ糸を活用について研究を すすめています。最近同所の研究者たちが、 大型動物の体内で、6cmにわたる頸骨神経の 欠損をクモ糸でつなぐことに成功しました。そ の結果ちょうど10ヵ月で神経が再生されまし た。

ハノーバー医科大学の形成・手・整形外科部 門(Department of Plastic, Hand and Reconstructive Surgery)の生物学教授である Kerstin Reimers博士は、次のように述べていま す。「クモの糸はナイロンよりも強い反面、免疫 反応が穏やかで、高い治癒力を発揮します」

重量あたりの強度では鋼鉄やケブラー(米 デュポン社が開発したパラ系アラミド繊維)を も上回り、ゴムよりも伸縮性の高いクモ糸は、 材料研究において最も注目を集めている分 野の一つで、医療面や軍事面での利用のほ か、高強度の産業用ケーブル、薄膜、コーティ ング用としてもテストが実施されています。

無限の用途

米国カリフォルニア大学リバーサイド校の生 物学教授で、クモ糸の遺伝学を20年以上研究 してきたCheryl Hayashi 士は次のように述 べています。「おびただしい種類のクモ糸が 存在しており、その多くは強くて伸縮性があ り、耐久性に優れています。こうした特性によ り、クモ糸はその軽さからは考えられないほ ど、驚異的な強靱さを備えています」

この材料を量産するうえで最大の障害となる のは、クモはカイコと違って共食いする性質 があり、閉じられた空間での大量思惟が困難 であるという点です。たとえば2012年にロン ドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 で、マダガスカル・ゴールデン・オーブという クモの糸で織られた黄金のケープが公開さ れました。このケープの制作にはクモ100万 匹以上からとられた糸と、8年という長い期間 が必要でした。

こうしたことから、科学者たちは実際のクモ を必要としない、合成クモ糸の生産方法を研 究してきたのです

「モンスター シルク」カイコは、ハイブリッド型のクモ糸を産出します。(画像©Kraig Biocraft Laboratories)

遺伝子配列における転換点

2011年に米国ユタ州立大学の合成バイオ製 品センターに加わったRandy Lewis博士は、 合成クモ糸生産のパイオニアで、クモ糸のタ ンパク質を作り出す遺伝子を特定した人物で す。当時米国ワイオミング大学で分子生物学 の教授で ったLewis博士は、この遺伝子を 別の生物に導入する研究を行い、クモ糸のタ ンパク質を含むミルクを生成する遺伝子組み 換えヤギを生み出しました。このヤギのミル クからクモ糸タンパク質を抽出してつむぐと、 自然のクモ糸に備わるいくつかの特性を備え た繊維ができるのです。

「クモの糸はナイロンよりも強い反面、 免疫反応が穏やかで、 高い治癒力を発揮します。」

KERSTIN REIMERS
ハノーバー医科大学、 形成・手・再建外科部門生物学教授

Lewis博士が率いるチームは、バクテリアから クモ糸のタンパク質を作る方法も研究してい ます。2014年には、2つの飛躍的躍進がありま した。「まず、発酵容器内で生産できるバクテ リアの量を4倍から6倍に増やすことに成功し ました。次に、各バクテリアが産出するタンパ ク質の量を4倍にできたのです。この結果、生 産能力は少なくとも10倍増加すると見込まれ ています」。

発酵バクテリアが 生み出すクモの糸

スパイバー株式会社は、慶應義塾大学の研 究所での取り組みに端を発して創設された 企業で、自然のクモ糸を作り出すタンパク質 の一種である合成フィブロインから作成され るバイオ素材「QMONOS」を生産してきまし た。微生物発酵プロセスで作成される QMONOSは、繊維、フィルム、ジェル、スポン ジ、粉末に加工することができ、自動車、航空 宇宙、医療の各産業用途に向けた開発が進 められています。

同社のマーケティング責任者を務める取締役 兼執行役の東憲児氏は次のように述べてい ます。「弊社はこれまでに、400種類を超える QMONOSのバリエーションを設計し、合成し てきました。2013年11月には、生産プロセス のテストと調整を行う最初の試作研究棟 「PROTOTYPING STUDIO」を稼働させており、 今後数年以内に、最初の産業用QMONOS製 品を世界市場に投入する見込みです」

「クモ糸は単独で優れた 繊維やより糸を 作成するのに使用でき、 他の材料と調合すれば 医療、産業、消費者向けの あらゆる用途に利用できます。」

Cheryl Hayashi
カリフォルニア大学リバーサイド校生物学教授

一方ドイツの企業AMSilk社は、クモ糸の組み 替えタンパク質から作成した独自のシリコ ン インプラント用コーティング剤の前臨床試 験を終えています。2013年3月、同社はクモ糸 繊維を産業規模で生産するための独自の製 法を開発したと発表しました。2013年11月以降、AMSilk社では化粧品業界にクモ糸タンパ ク質の販売を開始しています。

AMSilk社のマネージング ディレクター兼科 学技術開発責任者であるLin Römer氏は、次 のように述べています「様々なクモ糸の用途 があるなか、実用化に値する商用繊維を生成 することがこれまで大きな技術的難易点でし た。現在の製法により、クモ糸繊維が商用に 使えることが証明されました」

ユタ州立大学の遺伝子組み換えヤギが生産したクモ糸タンパク質をつむいだ糸の糸巻きに乗っている「ゴールデン・オー ブ・ウィーバー」クモ。(画像©ユタ州立大学)

革新的な織物原料 

クモ糸関連の開発競争をリードするもう一つ の企業は、米国ミシガン州に拠点を置くKraig Biocraft Laboratories社です。同社の遺伝子 組み換えカイコは、数種類のクモ糸タンパク 質を作り出し、それらのタンパク質を縒り合わ せ、強靱な繊維にすることができます。

Kraig Biocraft Laboratories社の創業者でCEO を務めるKim Thompson氏は、次のように述 べています。「クモ糸タンパク質の人工的製造 に成功した企業は他にもありますが、より大 規模なタンパク質繊維の技術的課題を解決し たところはありません。すでに商用化されてい る絹生産の基盤であるカイコをクモ糸の生産 に使用することは、大変理にかなっています」

 Thompson氏は、米国インディアナ州のノー トルダム大学で分子生物学と遺伝学の教授 を務めるMalcolm Fraser博士と協力し、遺伝子組み換え技術を使ってクモ糸用のカイコを 作り出しました。2010年には、クモ糸とカイコ 絹のハイブリッド糸を産出する、最初の一群の 「モンスター シルク」カイコを孵化させまし た。

「2013年10月に商用利用の計画を開始して からすでに、生産するクモ糸の量を2倍にする ところまでこぎつけました。織物原料市場に 足掛かりを築くことが、弊社の短期的な目標 です。通常の絹のコストは一般にキロあたり 100米ドルで、弊社は同じ価格帯でスー パー シルクを生産できます」(Thompson 氏)

本物より優れた糸も視野に?

今まで、自然のクモ糸に備わるすべての特性 に匹敵する合成クモ糸を作り出した企業はあ りません。しかし、それも実現に近づきつつあ ります。

ユタ州立大学のLewis博士は、「現時点で、わ れわれが作った最高のクモ糸繊維はケブラー と同等レベルですが、自然のクモ糸の良さの 半分ほどしか実現できてません」と述べていま す。スパイバー社も見通しは明るいと考えてお り、東氏は「弊社のQMONOSバリエーション の中には、丈夫さの点で自然のクモ糸を凌駕 しているものもあります」と述べています。

Thompson氏は、Kraig Biocraft社が本物を凌 ぐ特性を持つ合成クモ糸を生産するのも間近 であると予言しています。「私たちは現在、理 論的には、遺伝子配列を抜き出してそこへ異 なるタンパク質を挿入し、クモ糸に新しい特 性を加えるところまで来ています。自然は、私 たちが行うあらゆることの発想の源となって いますが、到達できる限界ではないのです」

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